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脳梗塞・リハビリテーション 4(01)

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ひろ亀セーヤンの闘病記 ①-1 入院1日目 7月6日(水曜日)

 1 救急車で 横浜の病院に入院!  

           

 入院1日目 平成6年7月6日(水曜日)


平成6年7月5日の夜は、青山のハザマビルより定刻に退社した。

大学の同級生との会食を切り上げ、午後9時には澁谷から鷺沼寮に帰り着く。明日から出張で島根県・広島県に行く予定である。

鷺沼寮名物の広い浴槽の風呂に入り、全自動機の洗濯を済ませてクーラーを掛けて寝る。

7月6日朝4時半に、冷えすぎて寒いのに目を覚まし、クーラーのスイッチを切り、窓を開けて外の空気をいれてベッドにひっくり返り本を読もうとした。ところがこの夏の暑さは昼間だけではなく、明け方まで熱帯夜が続いている。

外の空気は生暖かく、あわてて窓をしめてクーラーをドライに切り替えに立ち上がり操作を終えた。寮にはクーラーが付いているもののリモートコントロールではない。窓の側に立ち上がり行かねばならない。

不便なものだとぜいたくを言いながら本を読もうとするが、右手が云うことを聞かない。(何を寝ぼけとるのか、しっかりせんかい。)と呟く。

それより寮母の小暮さんに出張だから寝坊をしないように頼んでおかねばなるまい、と立ち上がり電話をとってダイヤルを回そうとした。

(プッシュホンの記憶がない。)

ところが、やっぱり右手が言うことを利かぬ。

あわてた! 耳と肩に受話器をはさみ左手でダイヤルを回す時は、一瞬頭の中がシラッとしたみたいでコールサインが長く感じる。

やっと通じて喜んだのに、『はいはい、何ですか、………おかしいわねぇ。誰かしら。何か、もごもごじゃぁ云っていることが判らないよ。おかしいわ………。炊事で一番忙しい時なのに。…………あらっ! 大変、様子がおかしい!』と慌てている。

(おいおい小暮さん! 僕だよ、管だよ、俺の声が判らんのか)と必死で訴えるのだけども云うことを利かぬみたいで、モゴモゴ言っているようだ。そのうち大騒ぎとなって救急車がきた。5時半位だったと思う。

 午前6時、救急車で、横浜新都市脳神経外科病院に入院した。

僕は自分で電話することができたから発見が早くされた。

だが、『出張って言っていたけど、ゆっくりでいいのかしら』なんてことになっていたら、脳細胞の破壊はもっと進んでいただろう、と寮の管理者は反省したらしい。

だから僕のことがあってから、朝食時間に点呼を取るようにしたのだそうだ。なにせ、新しい寮のこと、初めての救急車騒ぎで、ビックリの初体験だったらしい。

聞くところによると、ハザマ・ファイナンスの吉田栄正氏が付き添ってくれた。

(平成7年3月東京へお礼に伺ったときハザマサービスの勘違いが解る。)

担架で運ばれ、鷺沼寮を出るときに、青山機工の落合仁取締役が『じゃ、頼むな。』と吉田さんに話して居る姿が印象に残っている。

その時、吉田さんは初めて顔を合わす人だったので、僕より年配の方に面倒みてもらうのかって恐縮した思いがある。

実際、足と手が段々マヒしているのではないか、という思いがした。

それに、車がカーブをきる遠心力で左右に傾くことや、(朝だなぁ出勤ラッシュで混んでいるのだ。)と鮮明に覚えている。

後で考えると、国道246号線から東急田園都市線の荏田駅の手前を左にまわって入ったようだ。天気が良くて今日も暑いンだなぁ、朝日が登ってまぶしいと感じていた。

脳溢血か、何かだろう、ショウがないときに病気になってくれる、と思った。明日は7月7日で七夕様だったのに広島の家には帰り着かなかったんだ、と深刻に考えもせず、意識が有るのだからそう大したことは有るまい、と自己判断していた。

 病院につくと、救急車の入る所ってどこでも同じか知らないが、ストレッチャーで運ばれ救急隊員と看護婦が事務的に話をしている。ぐるっと見回すのだが、何となくキレイデナイ薄汚れた感じがする。

看護婦にいろいろ聞かれて返事をするのだが今思えば言葉にはなっていなかったのだろう。ストレッチャーをガタゴト移動させて、麻酔注射をしたのに違いない。

そのうち、意識が無くなって眠ってしまったようだ。

『移動式寝台?』のことを『ストレッチャー』と云うのは、入院して初めて知った。

目覚めるとナースセンターの隣で6人ぐらいの患者と一緒だ。

ボーッとした頭で、患者の数は数えた記憶がある。

良く観るとみんな喉に十円玉ぐらいの穴が開いていて、異常に静かだ。

(エッ植物人間になっているの。俺もなるの? 俺の意識は有るのだから大丈夫だろ。それも段々薄らいで行く? 冗談じゃあ無い。そんなの無いよ。喋っている言葉も声が出ているだけだぞ。ホンとか? ワチャー! 右手も右足も動かんじゃぁ無いか!)

それが、うぐうぐモガモガって何か云ったのでしょう。

付添いに大滝博志部長が来てくれていて『ヤー、気が付いたのですか。奥さんに連絡はついて今、新幹線で向かっています。夕方には付きましょう』と云ってくれる。

皆に迷惑を掛けてしまうなぁ、今日の広島出張に同行してくれる人へのキャンセルの連絡はどうなるか、と一所懸命考えている。

そう云う自分に、いい加減にしろ、それくらいのことキチッとやっているから心配無用と云うもう一人の自分がいる。

そうこうしている内に、看護婦が二人来て順次患者の面倒を看ていく。植物人間かと思っていたのが、急にゲロゲロ、オェーと痰を出している。静かなのは、睡眠薬のせいか、痰がつまるから喉を開いているのに違いない。

(これが明日の姿かよう、情けないなぁ。嫌だ、嫌だ。こんなになるなんて信じられん。みんな意識があっても身体が云うことをきかなくなるのだ。一巻の終わりだ)、と意気銷沈してしまう。

看護婦は、患者によっては幼児をあやしているような語りかけで喋っている。しかも大きな声で話している。その患者はいちいち返事をするのが面倒くさいといった表情で何やら答えている。それが、鈍いテンポで喋るのがメンドクサイ様子である。

看護婦は一生懸命語りかける、それも大きな声で。

そんなに大きな声でなくても良かろうに、と思う僕は眠くてしようがない。眼を開け上を見上げると、点滴のビニール袋が二つある。

点滴ばかりで、今日そういえば何も食べていない。陰毛は片側だけ剃られて、尿道にはビニールのパイプが通っている。オシッコは袋に溜めている。

 アンギオ(脳血管撮影装置)の検査の時に麻酔をかけられたのだろう、と数日たって同室の者に教えてもらった。両方の足の甲にXの字がポチッと付いていたのが何だろうと思ったが、意識のないうちに、いろいろな検査をやってもらったのだろう。

なるようになれ、と思ったらまた眠くなった。

何度目かに目覚めたら妻の恵子が、疲れたって表情でベッドの横に腰かけていた。心配はしたんだろうが顔の表情が動くのと意識がしっかりしている、と聞いて安心したらしい。

不幸中の幸いですと云っていたらしい。意識もなくて植物人間を覚悟していたそうだ。それでも『奥さん、どうしますか?これからを』と病院に云われたときは、何の意味か理解できなかったそうだ。

 広島に無理して連れ帰るなら、そのように飛行機の座席を確保するし、ドクターも手配しなければならない。それとも、もう少し容態を観て本人が歩けるようになってから、新幹線で帰ったら、とアドバイスしてくれたカウンセラーがいたそうだ。

後日、その人は田堰千恵さんと云ってリハビリ室の横に部屋があったカウンセラーで、何かと有意義なアドバイスを下さった方だと判った。

何気ない励ましがどれだけの勇気を与えてくれたことか!

飛行機の座席6人分にドクター? 何でそんなにする必要があるの、万全を期すためですって、そんなに悪いのですか?

新幹線には乗れるの? エッ、数ヵ月経てば 歩ける可能性がある!

ホントですか? では良くなるまで病院に居させてください、とのやり取りが有ったらしい。不幸中の幸いと思ったはずだ。

意気銷沈していつの間にか眠りに引きずり込まれてしまう。

でも寝ている間に植物人間になってしまうのではないか、心配だ。

しかし、睡魔には勝てない。

これからが闘病生活の始まりである。

妻の『介護日誌』より抜粋

7/6 早朝 6時頃 寮より電話。主人気分悪くなり病院に運ばれたとの

こと。 意識はあるとのこと。 横浜新都市脳外科病院 …………

私の一斉出荷案内で、ちょうど忙しい 午前中 瀬野~熊野とまわって帰る。(妻は商事会社のモニターとして小売店回りをパートでしていた。)

13:32発 新幹線ひかりで慌ただしく上京。

19:58新横浜着 地図を頼りに9:00頃病院着。

意識はあるものの右手足と言葉が少し解りにくい。

6人部屋で重症患者(ほとんど意識のない人ばかり)

蒸し暑く 主人の汗と涙?を拭く。

夜10時前 病院を出ると雨 江田駅まで歩く。 駅から財津さん宅に電話。

 一泊 御世話になる。新幹線他29,525円

2012年08月11日

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