スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

脳梗塞・リハビリテーション 2 はじめに

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに

実は、昨年(平成6年)の7月6日の朝、突然、脳梗塞で倒れ、右半身不随となり、どうなることかと心配を致しましたが、幸いにして右半身不随の後遺症が残る程度で治まりつつあります。間組(はざまぐみ)(ゼネコン・ハザマ)本店は東京青山にあり、関連会社青山機工に出向して間もない時にでした。

東横田園調布線・荏田駅の川崎の鷺沼にある独身兼単身赴任寮の自室で倒れ、横浜の病院に救急車で運び込まれたのです。

この度、入院中の備忘録を纏めることが出来ましたので、恥ずかしながらお届け致します。徒然なるままに、永い夏の夜の時間つぶしでも成れば望外の幸せで御座います。

ここに書かれている文章は、ワープロ学習の一環として入院中の出来事を纏めてみたのが最初です。そのため、次のような段階を経て進んでいますから、読みづらいことがあるかも知れませんが、あくまで言語リハビリテーションの成果の一環ですので、ご容赦の程お願いを致します。

*最初は考えている事を、支離滅裂でも、細切れでも、文字に打ち込み、文にすることを練習する。

*ワープロに打ち込む文字のスピードを早める練習として、余分な事を考えずに済むように、妻の日誌の 一部を丸写しした。

*忘れた記憶を思い出すのに、大脳の良い刺激、脳のリハビリにした。必要な事は思い出せずに、枝葉末葉にこだわり、イカレタ頭脳に愕然とした。

*手紙を出した人と出さない人 見舞いに来てくれた人で話をした人 聞いてない人の区別がつかないようになったので、お世話になった方に、出来上がった文章を配れば 一挙に解消する。

*記録に残せば後々看護・介護をする方にも参考になるやも知れない!と期待する。

*その他等、やっていくうちに記憶が定かになり、あれもこれもと話が尽きぬ処も有り、楽しみながら記録してきました。記録するのが精一杯で文章の推敲までは手が届きません。

いずれ落ち着いて、取り掛かろうと思います。

平成6年はいろいろありました。

4月に胆石が出来て、しかも胆嚢が肝臓に癒着しそうであると云うことが解りました。バブル景気がはじけて地方都市広島にも影響がありました。

5月に検査入院、6月に胆嚢摘出手術を行い養生。

7月に出向、東京に転勤。7月6日朝、脳梗塞で入院。

9月1日に退院して、横浜を発って広島の自宅に帰り着き、病院にリハビリテーションに通うことが出来、今日に至った訳です。

広島に帰って、翌日には会社の同僚・中村幸信氏の同級生・長尾史博医師を紹介してもらい医療法人あかね会阿品土谷病院に通うことが出来ました。

はじめは、週3回の通院でリハビリテーションを主にしてもらっていますが、今年に入り週2回となっています。同じ時期、9月から、右手が未だ不自由なので、機能交換のため文字を書くとかワープロを使う学習を始めました。

ワープロも長女の学生時代に使った“御古”を引っ張り出し、マニュアルと睨めっこの独学でやらねばなりません。“お下がり”ならぬ“お上がり”品です。

市内のワープロ・ショップで教えてくれる所が在るのだが、と云えば、リハビリだから独習でなければ、何の意味もないと云って教えてくれません。“心を鬼にして”、云う言葉は、家族の愛の鞭だそうです。

これが赦せるのも“家族の絆”があるからでしょう。お蔭様で恵まれていました。右手の自由がまま成らぬので、左手一本での作業は椅子に座る姿勢に無理が行き、油断をすると尻が椅子から外れるて落ちてしまいます。

長時間は駄目なので、ちょっとの事に日数を食う始末です。

その合間に病院で有ったことを、正確な日付けも朧げなものの儘、書き込んで来ました。

いろいろ書いて行くうちに、立って歩けるように成ったのが何時だったのか、杖を突いて歩いたのが何時だったのか、はっきりしなくなりました。思えば曖昧模糊とした記憶が如何に多いことでしょう。

入院した時は、記録に取るなんて そんな積もりは無かったものですから、壁に架けたカレンダーのメモが頼りなのです。それも7月最初のことは、メモが無いのです。

8月は万歩計を買って細かく歩数や来客の名前を書いております。

それ以外は、思い出せと云っても記憶の糸口も有りません。

困ったと思い途方に暮れていると、妻のメモランダムに見舞いの客の名前から見舞いの品など記入したのが有ると云います。見ると日誌のような走り書きが有ります。

これを抜粋させてくれ、これがヒントになり記憶を手繰ることが出来ると参考にさせてもらいました。

と云う訳で、「介護日誌」と云うものは特別には有りません。

「介護メモ」と云った方が良いかも知れません。

日誌を頼りに記憶を手繰った訳ですから、必要な事や細かいことが抜けている場合があります。

頭のリハビリのために書いたものと思い、ご容赦下さい。

まだまだ文章を推敲する段階には、いっておりません。

記憶を辿るのが、やっとのことです。

それでも記述してみますと、そんなことも有ったなぁと懐かしく思い出します。

1日10,000歩以上のノルマと公園のストレッチに励むつもりです。

平成7年1995年 8月 12日

親不孝の最たる者として反省

考経 開宋明義 章第一の一節

『夫(そ)れ考は徳の本(もと)なり。教のしたがいて生(な)る所なり。復(かえ)り座せ、われ汝に語(つ)げん。 身体髪膚はこれを父母にうく。あえて毀傷せざるは孝の始なり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕すは、考の終なり。それ考は親につかうるにはじまり、君につかうるに中(なか)し身を立つるに終る』と。

心臓にガンガン堪える文章です!

(病院に掛けたカレンダーに記録を頼りに備忘録を作る・7月分・省略)

1 救急車で 横浜の病院に入院!             

入院1日目 平成6年7月6日(水曜日)

以下、次回へ

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする